神鳥の卵

重たい体を引きずるように通路を歩き、厳重なセキュリティの施された扉を開いた。
その先にはまた通路が有り、その奥には再び厳重な扉。
それを3度繰り返し、ようやく辿り着いたのは薄暗い部屋だった。
この部屋で生活するようになってもうじき2年。
部屋の構造はすでに頭に入っている。
明りをつけるのも面倒だと、その部屋を通り過ぎ、奥の部屋を目指す。
扉の奥、そこは寝室だった。
倒れこむように、重い体を投げ出し、ドサリとベッドにこの身を沈めた。
ギアスを掛けた従者が毎日清掃をしているため、綺麗にベッドメイキングされていたそのシーツに大きくシワが寄る。
その時、頭に硬質な物が当たる感触がし、ああ、そうだったと身を起こした。
ギミックを作動させると、カシャリと硬質な音と共にこの頭を覆っていた仮面が外れた。
口元まで覆っていた布を引き下げ、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込む。

「ああ、もう・・・失敗したな。ごめんね、ルルーシュ」

傷、つかなかっただろうか。
彼が残した遺品であるゼロの仮面。
その表面をそっと撫でてから、枕元に置かれたケースの中へそっと置いた。
彼の残した遺品は多いようで少ない。
超合集国や黒の騎士団、英雄ゼロ、世界平和。
それらを残したのは確かに彼だが、それを遺品に数える事はできない。
皇帝として立つ前から、すでに死を見据えていた彼は、自分の身辺整理をきっちりと終えていた。秘密裏にアッシュフォード学園のクラブハウスにもギアスで操った者を行かせて、私物は全て処分していた。
それこそ、髪の毛一本も残さないほど、徹底的に清掃もさせたのだという。
学園内のパソコンに残されたデータも、全て削除したそうだ。
そして、彼が死んだあの日の早朝に、それまで使用していた着替えや日用品でさえ全て処分し、残ったのは彼自身が身につけていた皇帝服と、このゼロの衣装、そして彼を刺した剣だけだった。
それ以外は本当に、綺麗に何も残っていない。
彼が愛用していた万年筆でさえ、もう存在しない。
ギアスで操った者に全て処分させた以上、残っている可能性はゼロだ。
だから、このゼロの衣装は彼が残した数少ない、遺品なのだ。
だから、傷など付けられない。
だって、彼が此処に居た証でもあるのだから。
大事に、大事にしなければ。
予備は用意されているが、今使っているこの仮面は、あの日、彼が最後に触れた、彼の血を受けた仮面なのだから、何より大切な物だった。
重く怠い体に叱咤し、身にまとっているマントを脱ぎ、ゼロの衣装も脱ぎ捨てる。

『スザク！脱いだ物をその辺に放るな！皺になるだろう！』

ふと、そんな幻聴が聞こえて、思わず辺りを見回した。
彼がきっと生きていたら、そう言っただろう言葉。
幻聴まで聞こえるなんて、本当にどうにかし始めたのかもしれない。

「・・・解っているよ、ちゃんとハンガーにかけて、片付けるから。怒らないで？」

思わず、呟いた自分の言葉に、胸が抉られる思いがした。
歪みそうになる視界に苦笑する。
この重い感情を少し晴らさなければと、重い体を叱咤し、熱いシャワーを浴びたが、気持ちが切り替わることはなかった。
毎日の事だから解ってはいたが、少しは気が晴れてくれればいいのに。
お風呂にお湯を張って長湯すればいいのか？いや、そんな気分にはなれない。
バスタオルで適当に体を拭き、重い体を引きずるように、再びベッドに身を沈める。
これが肉体的な疲労でないことぐらい、自分でも解っている。
あの通路の先を抜ければ、僕はゼロになる。
疲れなど見せず、堂々と立ち、指導者として人々を導き続けるゼロに。
人々が羨望の眼差しで見つめてくる。
その視線を浴びるべきは本来自分ではない。
自分は、すでにこの世に居ない本物の代役にすぎないのだ。
だが、仮面を被る以上、中身が誰であれゼロはゼロ。
戦争のない世界を作るため、世界中の人々の期待を一心に背負う存在。
英雄ゼロ。
稀代の革命家。
奇跡の体現。
神のごとく崇めるものまで居る。
重い。
なんて重さなんだ。
ゼロという存在の重責を、ゼロとなって初めて知った。
甘く見ていたわけではないが、そのプレッシャーは想像を遥かに超えていたのだ。
希望に満ちた明日という日を人々に与えるため、個を消しゼロを演じ続ける。
だが、あの長い通路を通りこの場所へ戻ると、ゼロから名もない唯の人に戻るのだ。
ゼロの抜け殻。
それが自分。
ここは明日、またゼロとして立つために体力を回復するための場所にすぎない。
名のない人間は、ただ此処に戻り、眠り、食事をするためだけの存在。
明日、また。

「明日、か。僕にとっては明日は明日じゃないんだよ？昨日と変わらない、今日の繰り返しにすぎないんだ」

確かに世界は動き、未来へと歩みを進めている。
だが、その和の中に自分は入らない、入れない。
なぜなら自分は存在しない人間だから。
すでに死んだ、過去の存在だから。
自分の世界は、暗く灰色に塗りつぶされた、夢も希望も、未来もない世界。

「明日へ導く為のゼロ、なのにね」

スザクは自虐的にその顔に笑みを乗せ、呟く。
早く休まなければ。
明日もゼロとなるために。
眠って、目を覚ませば明日という名の今日が来る。

「・・・ねえルルーシュ。せめて夢の中でいいから、会いに来てくれないのかな？」

そうすれば、少しは明日への希望が持てるのに。
その日を終え、眠りにつけば、君に逢えるのだと。

「君を殺したのは僕なのに、ほんと僕って自分勝手だよね・・・」

会いたいよ、ルルーシュ。

流石に丸2日の徹夜は堪えたのか、最後までつぶやくこと無く、スザクの意識は闇に飲まれた。